【アウトソーシングほっとニュース】2026年10月施行に向けて:中小企業のためのカスタマーハラスメント対策
中小企業の経営者の皆様、日頃から従業員の皆さんと向き合いながら、経営の舵取りをされていることと存じます。現場で一生懸命働く従業員の方々が、心ない言葉や過剰な要求にさらされて、すっかり疲れ果ててしまう……そんな場面を、社会保険労務士としてこれまで幾度となく目にしてきました。そのたびに、「もっと早く手を打てていれば」と感じてまいりました。
今、世の中では「カスタマーハラスメント(カスハラ)」への対策が急務となっています。改正労働施策総合推進法の施行により、令和8年(2026年)10月1日から、すべての事業主にカスハラ対策を講じることが法的義務となります。
「また新しい義務か……」と、少し肩に力が入ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。でも、どうか安心してください。これは決して、経営者の皆様を縛るためのものではありません。むしろ、貴社の財産である人材を守り、結果として良いお客様に選ばれ続ける強い組織をつくるための、前向きな投資だと捉えていただきたいのです。このガイドでは、経営実務の視点から、今から準備しておきたいポイントを、できるだけやさしい言葉で、そして法律の確かな根拠に基づいてお伝えしていきます。
1. なぜ今、カスハラ対策が「経営の最優先事項」なのか
これまでカスハラ対策は、企業の努力目標という位置づけでした。それが2026年10月からは、法的な義務へと変わります。対象となるのは一般のお客様(BtoC)からの行為だけではありません。取引先企業(BtoB)からの行為も含まれ、業種や規模を問わず、すべての企業が対象です。
厚生労働省の調査(令和5年度)によると、過去3年間に顧客等からの著しい迷惑行為について相談があった企業は27.9%、実際にそうした被害を経験した労働者は10.8%にのぼります。決して他人事ではない数字だと感じていただけるのではないでしょうか。また、この義務によって守られる労働者には、正社員はもちろん、パート・アルバイト、契約社員、さらには派遣労働者の方まで、すべての働き方が含まれます(派遣労働者については、派遣先・派遣元の双方が責任を負うことになります)。
経営者の皆様に、ぜひ知っておいていただきたいのが「安全配慮義務」との関係です。少し難しい言葉かもしれませんが、要は「会社は従業員が安全に、安心して働けるよう配慮しなければならない」という、労働契約法第5条に定められた責任のことです。カスハラを見て見ぬふりをして従業員が心身の健康を損なってしまうと、この安全配慮義務に違反したとして、会社が損害賠償を請求されるリスクが生じます。実際に、対応が不十分だったという理由で、法人に賠償が命じられた裁判例も存在します。
対策を先送りにすることは、こうした法的リスクだけでなく、大切な人材の離職や、会社のブランドイメージの低下という、目に見えない損失にもつながります。逆に言えば、改正法の施行までのこの期間は、貴社をより魅力的な職場へと進化させるための、またとない準備期間だと捉えていただければと思います。
2. 「正当なクレーム」と「カスハラ」の境界線を見極める
現場の従業員の方が一番悩まれるのは、「どこからがカスハラなのか」という判断基準ではないでしょうか。この境界線をあらかじめ明確にしておくことこそ、従業員が自信を持って対応し、組織として毅然とした態度を取るための大前提になります。
カスハラは、次の3つの要素をすべて満たすものと定義されています。
①顧客等の言動であること(BtoBの取引先も含みます)
②社会通念上許容される範囲を超えていること(内容が不当、または手段・態様が不当)
③労働者の就業環境が害されること
ここで特に押さえておきたいのが、③の判断基準です。これは一部の繊細な方だけの主観ではなく、平均的な労働者の感じ方、つまり一般的な従業員であれば「これは看過できない支障がある」と感じるかどうかを、客観的なものさしとして考えます。
毅然と対応するための「法的な盾」と、NGな言動の具体例
経営者として「これ以上は許容できない」と判断する際、次の法律(刑法)が皆様の心強い味方になってくれます。
・威力業務妨害罪(刑法234条):大声で怒鳴るなどして、業務を妨げる行為。
・不退去罪(刑法130条):帰ってほしいと伝えても、居座り続ける行為。
・脅迫罪(刑法222条)/強要罪(刑法223条):「SNSにさらすぞ」と脅す、土下座をさせる等の行為。
・侮辱罪(刑法231条):「馬鹿」といった人格否定や、ジェンダーに関する侮辱。
一方で、忘れてはならないのは、正当な意見はカスハラではないということです。例えば、不備に対する正当な返品要求や、障害のある方からの合理的配慮の申し出などは、真摯に受け止めて対応すべきものです。すべてのクレームを一律に困った要求として扱うのではなく、その中身をきちんと見極めることが何より大切です。
3. 2026年10月までに、最低限整えておきたい「5つの実務ポイント」
国が定める指針をもとに、中小企業がまず土台として固めておきたいポイントを、5つに絞ってご紹介します。どれも一度に完璧を目指す必要はありませんので、できるところから一緒に見ていきましょう。
① 方針の明確化と周知(トップメッセージ)
「我が社はカスハラを許さず、従業員を守る」という姿勢を、経営トップの言葉で示していただくことが第一歩です。
今すぐできるアクション:経営者ご自身が「従業員の人権を尊重し、組織として毅然と対応する」という方針を、ぜひご自身の言葉で発信してみてください。社内掲示やポスターで見える化すると、より伝わりやすくなります。
② 相談窓口の設置
従業員の方が一人で抱え込んでしまわないよう、逃げ場を用意してあげることが大切です。
今すぐできるアクション:新たに窓口を作る必要はありません。既存のハラスメント相談窓口や、信頼できる上司の方を窓口として指定し、「いつでも話せる場所がある」と周知するだけで十分です。
③ 対応マニュアルの整備
現場での初期対応から経営への報告(エスカレーション)までの流れを、あらかじめ決めておきましょう。
今すぐできるアクション:この後の章でご紹介する「初期対応の手順」を、ぜひ社内で共有してみてください。録音の可否や、BtoB取引であれば相手先企業への協力依頼の進め方も含めておくと、いざというときに安心です。
④ 事後のフォロー体制
被害を受けてしまった従業員の方の心のケアを、仕組みとして用意しておくことも欠かせません。
今すぐできるアクション:深刻な事案が起きた場合は、迅速に事実確認を行い、必要に応じて産業医への相談や配置転換などの配慮ができる体制を、あらかじめ整えておきましょう。
⑤ プライバシー保護と不利益取り扱いの禁止
「相談したら、かえって自分が責められるのでは」という従業員の方の不安を、きちんと取り除いてあげてください。
今すぐできるアクション:「相談者のプライバシーは厳守する」「相談したことを理由に不利益な扱いは一切しない」というルールを、就業規則や朝礼などの場で、はっきりと伝えていただければと思います。
4. 現場を守るための「初期対応」と「エスカレーション」の心得
トラブルを長引かせず、こじらせないためには、最初の対応がとても重要です。ここでは、現場で実際に使える初期対応の流れをご紹介します。
実践!初期対応の3ステップ
①限定的な謝罪:まずは「不快な思いをさせてしまったこと」についてのみ、お詫びをします。事実確認がまだの段階で「すべてこちらの非です」と認めてしまうと、後から正当な主張がしづらくなってしまいます。「お待たせして申し訳ありません」といった言葉に留めておくのがコツです。
②正確な状況把握:相手の話を遮らずに丁寧に聞き、内容をメモに残します。必要であれば「確認のためです」と一言添えたうえで、録音などによって客観的な記録を残しておくと安心です。
③窓口の一本化:特定の従業員に付きまとうような事態を防ぐため、「今後は責任者の私が窓口を担当いたします」とお伝えし、現場の担当者をそっと切り離してあげてください。
現場で役立つ、具体的な判断基準
・時間による区切り:電話や対面でのやり取りが30分〜1時間を超えても解決の糸口が見えない(膠着状態にある)場合は、「本日はこれ以上の対応はいたしかねます」とはっきり伝え、電話を切る、あるいは退去をお願いする勇気を持っていただければと思います。
・複数名での対応:悪質だと感じた時点で、すぐに複数名で対応する体制に切り替え、担当者一人を孤立させないようにしましょう。
・BtoB取引の場合:取引先からの不当な要求に対しては、自社のカスハラ防止方針に基づいて毅然と対応してください。悪質な場合は、相手先企業に対して、組織として事実確認や再発防止への協力を申し入れることも検討しましょう。
5. さいごに:対策の先にある「より良い顧客関係」と「強い組織」
経営者の皆様、最後にどうしてもお伝えしたいことがあります。カスハラ対策とは、決して「お客様を敵視すること」ではないということです。
不当な要求を繰り返す、ごく一部の方に対して組織として一線を引くこと。それは従業員の疲弊を防ぐだけでなく、大多数の善良なお客様に対するサービスの質を維持し、さらに高めていくことにも直結します。
対策を講じることで得られるメリットは、決して小さくありません。
・従業員の安心感が高まり、離職防止や人材確保に力を発揮してくれます。
・「従業員を大切にする会社」としてのブランドイメージが高まります。
・職場環境が改善され、従業員のエンゲージメントが自然と高まっていきます。
一度にすべてを完璧に整えようと気負う必要はありません。まずは「方針を周知する」という、小さな一歩から始めてみませんか。従業員を守り、同時にお客様も大切にする。この大切な経営課題に、一歩ずつ着実に取り組んでいくことで、貴社はきっと、より魅力的な職場へと進化していかれるはずです。
令和8年10月の施行に向けて、私たちもしっかりと応援しております。どうぞ、一緒に取り組んでまいりましょう。
出典:厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル 」(令和8年度改訂版)
社会保険労務士法人エスネットワークス
特定社会保険労務士M・K
事業会社での人事労務キャリアを活かし、社会保険労務士として活動中。労働法をめぐる人と組織に焦点を当てる「生きた法」の実践をモットーとし、専門家の立場からセミナーや講演を通して、企業に“予防労務”の重要性を呼び掛けている。日本産業保健法学会会員。